バイバイ、ワーキング
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 物心ついたときから暫く、父の顔をなんとなくしかイメージできない時期があった。それでも私は父が好きだった。とても人が良かったし、優しかったのは印象に強く残っていたからだ。それでも肝心の顔と言ったら、やはりぼやけたイメージしかできなかったのだ。それはきっと父の仕事の所為だろう。
 父の仕事は鳶職の様な物だった。地方へよく飛んで、何日も帰って来ないのは当たり前の事だった。わざわざ遠くから呼び出されるだけあって献身的に客に尽くしていたらしく、巷では評判だったらしい。そう考えると確かに、父は少しばかり名の通った仕事人だった様だ。私が大人になった今でも色んな人が「娘さんか」等と言って私を呼び、父の名をよく口にする。父はやはり凄い人だったのだろう。
 でも、子供の私にはそんな事は関係なかった。いくら仕事を大切にしていようと、皆に愛されていようと、大好きな父に会えない事は私にとって苦痛でしかなかった。幼かった私には、父の不在というものが死活問題ですらあったのだ。
 中学時代に私が片思いしていた人は、誰からも好かれる性格をしていた。リーダーシップがある体育会系の少年だった。責任感や正義感に溢れている様な、そんな人だった。そして、私の親友だった子と一緒にクラス委員をしていた。私の親友だった子も、片思いしていた彼と同じで、責任感や正義感に溢れる人だった。それでクラス委員もやっていたし、先生からも厚く信頼されていた。彼女の仕事が忙しくて、私は彼女と遊んだ記憶があまり無い。今も親友で仲はとても良いけれど、仕事の都合で中々会えないでいる。私の親友との中学時代は、言うなれば仕事に奪われたのだ。
 高校時代に付き合っていた彼も、中学の時片思いしていた彼に似ている所があった。皆の中心に近い所にいたし、先生とも仲が良かった。行事の委員もやはり真剣にこなしていたし、それに加えて予備校とアルバイトの掛け持ちまでしていた。私はいつも彼の斜め後ろで控えていた。彼が立派な人間だというのを誇りに思っていたし、その所為で一緒にいられる時間が少ないことも承知していた。そんな彼と私は、高校を出た後も円満に過ごした。そして、大人になった私達は結婚した。変わらず、一緒に居られる時間は少なかったけれど、その変わり金銭面や生活で困ることは無かった。私は彼に何も言わなかった。淋しくなかったと言えば嘘になるけれど、彼に無理をさせたくなかったから私は彼に従い続けた。結婚して数年経っても子供は出来なかった。
 その内私は病気になって入院する羽目になった。もともと体が丈夫だった訳では無いが、入院まで事態が悪化するとは夢にも思っていなかったため、少々不安な生活が続いた。彼も仕事で地方に行っていて、暫らくは戻れない状況だった。
 父が死んだという電報が入ったのは、そんな時だった。
 転落死だった。父は、危ないから引退しろという私や母の反対を押切り仕事を続けていた。でも、事故が起こったのは父の注意散漫や能力不足が原因では無かった。先に転落した男性を庇って死んでいったと言うのだから、悔しかった。男性の家族は篤く御礼の言葉と謝罪の言葉を重ね重ね何度も吐いたが、ついにその言葉が私の耳に届く事は無かった。
 父の死を契機にする様に、ある日母も唐突に倒れた。そんな中父を送る式は、静かな雨の晩に執り行われた。母はとても出れる様子ではなかった。拠り所もなく父の死を偲び涙を流していると、葬式に出てくれた人の中に中学時代からの親友の顔を見つけた。連絡はしあっていたものの、軽く数年ぶりの再開だった。
 久しぶりに会った親友の顔は見違えた。どこか暖かい気持ちになっていた筈なのに、絶望感が体に渦巻いた。彼女は、やつれていた。頬はこけ、手なんか骨の様だった。痩身の彼女は病んでいた。そんな彼女の口から吐かれる言葉は、衝撃的なものばかりだった。彼女の、皆の憧憬だった彼女のプレッシャーからだ。そしてストレス。私への暴言は、私に対する羨望だった。彼女は死にたいらしい。何度も自殺を試みている。でもあと一歩で手を緩めてしまうと泣いた。死ぬのは怖いと泣いた。それでも、生きるのはもっと辛いと泣いた。私は何も言えなかった。
 一週間後、親友の死が知らされた。
 薬物の大量摂取だった。遺書は無かった。家族は誰も、彼女が追い詰められていたことに気付いていなかった。私は絶望した。彼女の死は予感していた。予感していたのに何もできなかった自分に絶望した。彼女を追い詰めた社会に嫌気がさした。悲しくなった。式の晩に彼女が打ち明けてくれた彼女の全ては、誰にも話そうと思はなかった。それが一番いいと思ったからだ。私は彼女を偲んで、人知れず泣いた。


 追って、夫の死が告げられた。


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