『手記・八月』より抜粋
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先ず、おれの筆を我儘に走らせるのに充たって、此処の所手記を怠けて居た事を、自身に対して深く謝罪申し上げなければ為ら無い。
所が、謝罪の相手が自分なのだからこれは困った。
他人に謝罪するのとは全く勝手が違うのだ。
して、敢えて深くは追求せず、冒頭に走り書きの如く付けたこの短文にて謝罪としようと思う。

手記を怠った理由なぞは書かずとも分かろうが、おれの性分故、書きたい儘にするとしよう。
取り留めの無い稚拙な文に成るのは何時もの事では在るが許して欲しい。と亦、この自分に対しての詫びも考えてみれば可笑しな事では在るが。

然るに、夏と言うとおれの嫌いな季節で在る。
蟲は出る。
西瓜は食さぬ。
遊泳も好まぬ。
蜩の声が興だと云うのも解るが、こう毎日聞いて居れば流石に耳障りだ。
寒さも苦手とするが暑さは更に気が滅入る。
汗は厭だし、何より都会の夏は湿気が多く、息苦しささえ感じる。
冷具には長く当たると体に害で有るらしいし、それで無くともおれの気分を損ねる。
詰まる所、おれは夏を過ごすのが億劫なのだ。
そんな時分に筆が進む筈も無く、殊更手記に手が伸びる訳も無い。
然し、今おれはこうして筆を手に取って居る。
些か怠惰の致す処では居ったが、これは気紛れでは無いだろう。
否、気紛れも有るのだろうが、主立った理由は確りと在る。
先日諭された事で在るのだが、人生観なぞと云う言葉も在る様に、心構え一つで景色の色合いは百と変わる事を知った。
云と、前から解っては居ったが何と無く現実味が持てずに居たのだ。
諭された事を契機に、おれは夏と言う物に焦点を当てた。
誰かを毛嫌う様に、確かな、重的な理由が在る訳でも無かった為、題に持って来いだと思ったのだ。

−(中略)

然して、おれは細やかに心と云うものを奮わせた。
夏には、活気が在り、生命が存在った。
亦夏には、発見と力が在ったのだ。
今まで億劫だと思って居た分を取り返すのには到底足りぬが、おれにすればそれは眼を輝かすべき事で在った。
所で、おれの周りに居る人間には、夏を好む者が多い気がする。
常識と言う程度で、それが当たり前の事だと少々妥協して居た事は否めない。
けれども、それが俺にこの耀きを齎したのだとすると、何とも可笑しな事では無いかと思うのだ。
それは、おれの性分の所為だ。
おれが自負する所で、おれは他人(ひと)より他人(ひと)を疎ましく思う念が一層強い。
ここで言及したいのが、おれの遣う"疎む"というのの意味は、決して他人を忌み嫌うと云う単純な所に収まっては呉れ無い所に在ると言う事だ。
おれは幼少期から長い事疎むと云う言葉の意味を少々吐き違えて憶えて居た。
それの名残とも言うのか、或いは癖と言うべきか、おれの遣う疎むと言う言葉は、一言で言えば羨望で在る。
が、それは強引に片付けた場合のぶっきら棒な説明に過ぎないので直ぐ様訂正して見せたい。
疎むとは、只忌み嫌うのでは無い。決して無い。
嫌いは嫌いなのだ。
然も只嫌いと言うのでは何処か満足出来ない程でも有り、(又同時にそこまでして嫌う由に納得出来ず、自分を嫌ったり板挟みに陥る場合さえ在る。)そして遠ざけるのも亦道理だ。
然し、愛おしく思って居る場合も少なくは無い。
何より、そこには先にも言った羨望と言うものが見え隠れして居る。
又焦燥や所属したい、評価されたいだのと云う極めて人間的で厭らしい欲が入り交じり、とても他の言葉で表現出来ない調子が私の言う疎みと云うものなのだ。
そう、おれは、同性がとてつも無く疎ましい。
そうして、それとは別に異性も疎ましく感じて居る。
おれは終には人間が疎ましく感じるのだ。
然しそれは同性に対する疎みや異性に対する疎みと云うものを総合した結果では無いのを、どうか理解して欲しい。
おれも人間だ。
紛れも無く、間違いも無く、常識人は誰もがおれを人間と認めるだろう。
然し人間には個性が有る。
君は百色もの顔を持って居るのだよ。
そうだ。おれが疎ましいのは今の瞬間以外である。
概念の壁を越えて、今迄養った理屈も思想も全てを棄て、今おれは叫びたい。

おれは、君が疎ましい。と。



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