司馬懿
「…あれ?」
「どうした?」
「うん、何か司馬懿が…まぁ、気のせいだよね」
「…様子を見てきたらどうだ?最近忙しそうだったからな」
「寝る暇無さそうだったしね。うん、ちょっと行ってみる。呂布が来たら適当に誤魔化しといて」
「ああ」

華雄に手を振り、そっと回廊を歩き出す。
次第に駆け足になり、気が付けば全力疾走していた。

見えてきた執務室に自然と口角が上がり、扉の前で立ち止まる。

何度か深呼吸をして息を整え、扉に手をかけようと手を伸ばせば…


「騒がしいヤツだ」
「あ」

いつもの眉間の皺は薄かったが、目の下の隈が濃い。
促されるままに執務室に入り、中を見回す。
代わり映えの無い、書簡の山、山、山…あ、崩れた。

「で、何の用だ?」
「あー、うん。コレといって特には無いんだけど…」
「?」

俯き、視線を泳がせ、ふと目に入った司馬懿の服の裾を掴んだ。
いつもの、紫を基調とした司馬懿の服。
なんの変わりも無い、いつもの服。

なのに…

「どうした?」
「司馬懿…どこにも行かないよね?」
「私は此処に居るが?」
「うん、居る。でも、居なくならないよね?」
「…」
「ずっと、此処に居るよね?」

次第に潤み始めた目。
司馬懿は何事だと眉を顰めた。
自分の知らない間に何かあったのだろうか?
それにしても…

「お前が、離れていかない限りはな」
「私が?」
「お前が離れないのなら、私とて何処かに行く必要は無い」
「本当に?」
「私からすれば、お前が居なくなる方が確立は高いと思うがな」
「…かも、しれないけど」
「まぁ、そうなれば追いかけるまでだ。簡単に逃がしてなどやるものか」
「…え?」

折角手に入れた獲物をやすやすと他の者に渡すなど、ありえない。
此処で、自分の手の届く範囲で飼い殺す様に一生放さない。
他の男に会いに行く為の自由など、与えてやらない。
それに気付かせる事無く、幸せだと思わせよう。
それぐらい、自分にかかれば造作無いことだ。

「お前は私のもの。私の傍で笑っていれば良いのだ。さすれば不幸にはなるまい」
「幸せにはなれないの?」
「なれないと思うのか?この私と居て」
「幸せに、してくれるんだよね?」
「当たり前だ」

耳元で囁き、赤く色付いた頬に口を寄せる。
司馬懿の長い袖に隠すように小さな身体を抱き寄せ、安心させるように背を撫でた。
そっと裾を掴んでいた小さな手を外し、その手を優しく握りなおす。
自分の胸ほどまでしか届かない小さな顔を見下ろし、ゆっくりと腰を屈めた。


「私は此処に居る。お前が居る所に、共にな」







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